三鷹事件50年碑を見て、同志社国際の腕組みオヤジを思い出してしまった。
三鷹駅近く「三鷹事件の碑は2箇所」
アメリカ占領期の1949年7月25日、三鷹駅で起きた電車転覆による大量虐殺(6名死亡20名負傷)、いわゆる「三鷹事件」は皆さんもご存じだろう。
昨日、安倍晋三回顧展の後に三鷹に用があったので、慰霊碑を見に行こうと思った。

電車の中で調べたら、被害者の慰霊碑は三鷹駅の禅林寺の墓地内に建てられていることが分かった。お寺の中、すなわちお墓の一つなのだろう。あとで調べたら、禅林寺には太宰治や森鴎外の墓もある「有名どころ」のようだ。
それとは別に「三鷹事件50年碑」が存在することも分かった。禅林寺も興味があるけれど、何せこの後の「用」とは昔の職場の退職者慰労。精神的負担がありそうな禅林寺は「次の機会」。手間がかからなそうな「三鷹事件50年碑」に行くことにした。
50年碑は三鷹駅南口降りて線路沿いまっすぐ


三鷹駅の南口に出てタリーズコーヒーの方向に階段を降りる。その後電車の線路を直進して10分程度、左側に見える「すずかけ児童遊園」という公園の隅っこにある。
線路沿い直進なので、多分間違えない。途中に「太宰治がどうのこうの」とか、そんなプレートが立っている。それにしても、世の中のインテリ気取りは、妾を孕ませたシャブ漬けの自堕落な自殺騒動常習犯フリーライターが好きだなあ。
妙にピカピカな碑


すずかけ児童遊園は、近所の良い子が遊んでいる「どこにでも転がってるような公園」。看板の字がかすれて殆ど見えない。
公園の正面にはJRの施設。表札(看板?)に「JR東日本旅客鉄道株式会社・三鷹車両■■■■」と何故か黒で消されている。
その公園の奥の隅っこに、いかにもそれっぽい石の塊がある。行ってみると、やっぱりこれだった。公園は古ぼけているけれど、50年碑は1999年に建てられたにもかかわらず、不自然なまでにピカピカに光っている。
碑を建てたのは「東日本旅客鉄道労働組合」
正直、ゲンナリした。
この碑を建てたのは「東日本旅客鉄道労働組合」。五十年碑建設賛同者一同と書かれている。いや、誰が碑を建てようが、内容が碑に相応しければそれで良い。
しかし、この文章は「相応しい」と言えるのだろうか。
以下、私の写真技術が下手なのと碑がピカピカすぎたため、正面の私が映り込んで読みにくくなった点、お許しください。

オープニングが「謹んでお悔やみ申し上げます」ではない。『この日、われらは誓い合った。繰り返されるわれらと鉄路への妨害を許さない』。

三鷹事件レベルの「鉄路への妨害」が繰り返された? 松川事件? 地下鉄サリンくらいしか思いつかないけれど。いや、「われら」への妨害も許さないと言っているのだ。
以下、『共産党の「九月革命」説とこれを利用した国家権力の陰謀と国鉄民同の暗躍によって、国鉄労働運動は敗退した』…『二十一世紀を前にして異常な静寂のなか戦争体制づくりが一気に進んでいる』『われらは騙されない』。
公共の場にふさわしくない一方的な碑文
三鷹事件慰霊を口実に、こんな日本共産党の一方的なメッセージを良い子やお母さんが遊びに来る公共の公園に設置してよいのだろうか。

確かに日本共産党員は三鷹事件では無罪になった。しかし、国家権力やGHQが電車を倒した証拠などどこにも存在しない。だいたい、どうやって電車横転司令を出すのだろうか。「とくりゅう」みたいに「バイト代をはずむむから電車を倒してくれ」と言えばやってくれるのか。
事件の半年後、日本共産党は本格的に地下活動に入り、次々と殺人事件を引き起こすことになる。



コメント
これは共産党と関係ない革マルの主張ではないかと思います。
革マル派などの新左翼は、日本共産党がその後六全協で「極左冒険主義だった」と暴力路線を反省してからの話なので、それはないと思います。