どうして学問は「左」なのか

教育
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2025.10.9微修正

大学はアカの温床か?

 ストレートなタイトルで申し訳ない。
 とはいえ、理系のちゃんとした学問はともかく、「私大文系」の先生方が実際にそう思われてることは間違いない。しかも、上野千鶴子のような悪質左翼のマスコミ登用や、日本学術会議の愚行によって、イメージが増幅されていく。

 大学でもマルクス主義経済学は絶滅危惧種。しかし、新聞やテレビを見ていると、ジェンダーやエコやグローバルやダイバーシティー、その裏っ返しの「差別反対」「ヘイト反対」などの「リベラル」的主張ばかりがマスコミで主張されるように感じてしまう。学問=アカのイメージが形成されているのは事実である。 

 前述の通り、経済学や経営学など、社会科学もちゃんと右傾化しているのだ。しかし、「自公・維新=悪」「大企業=悪」「日本共産党は旧ソ連・中国とは違い…」などの思想が、一般社会よりも多いように感じてしまうのも事実である。
 とはいえ、ここはオウマー日記。オウマー日記らしく、面白おかしく、しかも「らしい」議論でこの問題を考えていきます。

ネトウヨが社会科学で不利になるのは必然

 それでは逆に、「ネトウヨ志向」の学問って何だろうと思う。
 移民反対・差別賛成・男女平等反対を学問的に裏付ける…実は、ネトウヨ思想は最初から社会科学と親和性が乏しいのだ。
 学問として考えると、社会科学は「みんなが平等で豊かで差別のない社会」を目標にせざるを得ない。ネトウヨ式に「理想の社会は、女性は子供を生み育てることに専念する」「外国人に自国のサービスを受けさせないのが理想の社会」では座りが悪い。
 今の近代国家は、自由平等博愛やジェンダー平等にグローバルにダイバーシティーを絶対善と信仰している。これら概念が「神」として君臨している以上、「クルド人が来るど」のような運動は正当化されにくい。自国第一主義的志向は近代の敵と認定されがちになります。

保守派には「神」が必要

 1980年くらいまでは、論壇でもドストエフスキーやニーチェが保守派正当化の論理として重宝されていました。「悪霊」など、ドストの書いた小説と内ゲバや連合赤軍・日本赤軍兵士への批判として、しっくりくるからです。何故連中は殺し合うのか。神様が「殺してはいけない」と言わないからだと。
 孫引きのたぐいだと思うけど、B.ラッセルが「どうして人を殺してはいけないのか。それは刑務所に入るのが嫌だから」だったか、昔そんなのを読みました。刑務所に入る勇気があれば、人は平気で殺人を犯す。
 ドストさんの「神がなければ全てが許される」という言葉、みなさんも聞いたことがあるでと思います。
 そして、神様が言ってる以上、男女役割固定も当然ということになります。だって、神様が男と女を別々に作ったんだもん。教育勅語も同じです。ネトウヨ思想に、神様はつきものなのです。

神に代わる「偉人」

 しかし近代という社会は、神様を殺してしまった。それゆえニーチェは「超人」が必要だと言った。しかしバロム1が神の代わりなんかできるのか。

 だが、日本でもおそらく欧米でも、厳格なお父さんや威厳ある男性の中年教師が、ネトウヨでナチナチで差別的な主張をすることにより、道徳を維持した。日本も世界の近代国家も「裏技」を使い、自由で平等で差別反対な建前のもと、男女役割を固定化し、ホモは気持ち悪いレズはもったいないオカマは死ね、年頃の男女がいたら結婚するように同調圧力をかけて、結婚しないと卵巣摘出だ! それはそれでうまくやっていました。
 重要なのは「神」「偉い人」です。天は人の上に人を作らずと言います。しかし、人の上に人を作った方が、「道徳」にとって何かと都合がいい。
 昭和1970年代80年代の方が「先生は先生だから偉い」「親は親だから偉い」が通用した。「ネト」がない時代にネトウヨ教育が堂々と通用したのは、道徳を語る「神」や「偉い人」がいたからです。

現代社会の神は「カネ」

 近代社会は神様を否定することが前提になっている。だって、神様も天国地獄も存在しないんだもん。そうなると、自由平等博愛・差別反対を信仰する左翼(何故か議会制民主主義は軽視しますが)に比べて、神を失った保守派は苦しい。「子供を産む機械・装置の数が限られている」「生産性のない同性愛者に税金を出すな」、最近では「馬車馬のように働く」など、反民主的な言動がやりにくい。ネトウヨな主張は、教育勅語や聖書など、神様を前提にしないと正当性が担保されないのです。

 そうなると、いくら「今だけカネだけ自分だけ」と偉そうにお説教しても、ネトウヨ教授が主張するのは「こんな学問では社会に出てやっていけない」と偉そうにお説教して、実は金儲けの学問を教えることなのです。
 現実問題、「左:ジェンダーやダイバーシティーや環境etc VS 右:社会に出て役立つ学問」が現在の社会科学の対立構図じゃないですか?

「善く生きる」「正しく生きる」を失ったネトウヨ教育

 1980年辺りまでは、保守派教育は道徳的に「善く生きる」に対して、革新派教育が「今だけカネだけ自分だけ」「金よこせもっとよこせ俺によこせ」でした。しかし今や、ストレートに金儲けを教えている先生はパヨクではなくネトウヨです。ストイックなのはパヨクの方。ネトウヨ教授はビジネスマナーなら教えても、「正しく生きる」ための道徳なんか語らない。
 保守・ネトウヨが神様を失った今、移民排斥しろ財務省解体にしろ、所詮は自分の取り分の問題です。まさに「金よこせもっとよこせ俺によこせ」じゃないですか。

 現在、高市人気で目立ってない参政党。彼らの強さは「魂の領域」にまで踏み込んでるからではないでしょうか。
 参政党に吉野敏明がいたころ、「”人間死んだら終わり”じゃない」と何回も言ってるのをご記憶の方も多いでしょう。何かと馬鹿にされる参政党憲法草案の天皇条項だって、彼らが「大和魂」「日本の伝統」を、「自由・平等・博愛」「ジェンダー・ダイバーシティー」よりも崇高な日本の宝と考えてるからゆえの話。
 あの「叫び声」は明らかに「何か」を信じている人の叫び。少なくとも支持者はそう感じています。

 ではまた。

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