「リベラル」が生まれた日

日本共産党・左翼
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日本共産党・左翼

 「リベラル」という言葉を聞いて、どんな印象を持つだろうか。
 多くの人は、「左翼」が嫌われることを知り、聞こえが良い「リベラル」に言い換えた印象をお持ちだろう。要するに、左翼の偽装がリベラルであると。

リベラル=左翼の正体隠し?

 ただ、私のように60超えたジジババだと、リベラルは保守、今で言う「ネトウヨ」を意味していたこともご存知だろう。国家が介入しない「リベラリズム」vs国家が積極的に経済に関与する「社会主義」。実のところ、昔の保守派も、左派から軍靴の足音だのヒトラーナチナチ言われてたので、聞こえが良い「リベラル」を使用していたのかもしれない。

 しかし、「リベラル」は本当に左翼の正体隠しだけなのだろうか。さすがに日本共産党をリベラルと呼ぶのは世界の民主主義国家で日本ぐらいだろう。しかし外国にも「リベラル」は存在する。ただ、アメリカでは今の日本に近く、西欧では「市民的自由・開放経済・中道路線」と、昭和日本に近いらしい(チャッピー5)。
 左翼の正体隠し以外に、別の「リベラル」という思想が存在するのか。今日は日本に絞って、「リベラル」の誕生について考えてみたい。そもそも、どういう人達が「リベラル」で、いつ生まれたのか。リベラル生誕の日を考えてみたい。

謎のデムパ語「華青闘告発」

 先日、元過激派と思われる人のYoutube(元カゲキ派モトカ)「なぜ左翼が衰退したのか」という動画を見ていたら、リベラル誕生について述べていた。
 元過激派。日本共産党はかつて「ニセ「左翼」暴力集団=トロツキスト」と呼んでいた。香しいですね。日本共産党ですらゆんゆんで意味不明の言葉を使っていた時代の話。過激派たるや、当然もっとデムパ。

 モトカいわく、過激派が後のリベラルになった転機が「華青闘告発」なのだそうだ。華青闘告発? 生まれて初めて聞く人が大半だろう。日本の左翼が「華青闘告発」が転機で迷走した、らしいのだ。
 ただ、トロツキストおっとっと過激派が主張する「華青闘告発」をゆんゆんと取り上げたのは、もちろん意味がある。

 「華青闘告発」とは、在日中国人学生を中心とするトロツキストおっとっと過激派が、よく分からないけれど、我々は侵略戦争の被害者でお前ら加害者、「中国人の気持ちを考えろ」「セクト主義だ」「自己中心的だ」みたいに言ったらしい。
 そうしたら過激派はそうだそうだと、何故か狭山闘争とが差別・人権問題に話をすり替えて、ポリコレやマイノリティ問題を掲げて新しい運動を展開。リベラルの基盤を形成することになった…んだそうだ。
 こう思ってるのは日本中に1000人もいないだろう。しかし、「英雄気取りの新左翼」に中国人が被害者の立場を主張し、そしたら「俺達は被害者」とショボーンとしてりゃあ良いものを、中国人の真似して「お前らは加害者だ」と相変わらず威張ってる… 確かに「日本型リベラル誕生」の一瞬だ。

「当事者」の時代(佐々木俊尚)ー「日本人は加害者」本多勝一

 しかし、その「瞬間」をもっと一般化した本がある。こっちは賛否はともかく数千万人単位の議論だ。

 「当事者」の時代/佐々木俊尚著/光文社新書 2012/4/29
http://sinzinrui.blog.fc2.com/blog-entry-1738.html


 あの本が出版されてから、もう15年も経ったのか。
 興味を持たれた方は、私の上記ブログや、実際に佐々木俊尚さんの「「当事者」の時代」をお読みいただきたい。

 今回は簡単に説明する。
 日本の反戦平和運動は、日本人を戦争体験者=被害者として描いてすすめられてきた。しかし、新左翼勃興につれて、日本人は中国に侵略した加害者であるという視点が主流になっていく。
 最近は、ここの読者も私より若い人が多いかもしれない。特に若い人だと、自虐史観が普通だと思っているかもしれない。しかし、自虐史観は1970年代から徐々に主流になったのであり、それ以前、日本人は無謀な戦争の全面的な被害者だったのだ。
 加害者説の代表選手が朝日新聞の売れっ子スター記者・本多勝一。この著作では本多勝一が最大の悪役として描かれている。
 本多勝一は常に「殺す側・殺される側」を読者に問いかける。問いかけに対して左翼陣営はこう答えた。
 「自分は戦争の加害者だ→加害者はカッコ悪い→自分は被害者の側に立つ→自分は被害者の代弁者だ」
 あたかも自分を「被害者のイタコ」にように規定する考え方が登場した。これを佐々木俊尚氏は「マイノリティ憑依」と呼んだ。

 上記の自分のブログから引用すれば、『本来は「自分たちは一方的被害者でない・絶対的な善ではない」反省から生じた「加害者論」は、今までの運動を180度変えるのではなく、360度転換して、またしても絶対的正義の心地よさに酔いしれるようになった』のだ。

リベラルの源流は自虐史観

 上記の佐々木俊尚氏は著作の最後に、「我々は望んで当事者にはなれない(P.455)」と語っている。しかし、佐々木氏の予告通りにマイノリティー憑依は隆盛を極め、現代に至る。
 令和の今、「昔解同 今LGBT そこのけそこのけオカマが通る」、女子スポーツ競技ににオカマのニセ女が登場しても、反対するのがむしろ少数派くらいだ。

 「日本型リベラル」はいつ生まれたのか? そこそこ、以上が回答になってないか。
 デムパゆんゆんも1000人も支持者がいないだろうモトカ説も、1000万単位の議論の佐々木俊尚氏の論考にしろ、日本人は戦争の被害者ではなく加害者であることが契機になっている。
 日本人が戦争の加害者になってしまった。自分は加害者になったら正義ヅラできないのでカッコ悪いから、被害者の側のイタコになって正義ヅラを継続しよう。
 しかしイタコ左翼は人気がない。まだマルクスの方が良かった。しかしソ連・東欧も崩壊する。もうマルクスは無理、イタコ芸一本にやっていこう。このイタコ芸こそがリベラルの正体ではないのか。
 リベラルが生まれた日は、日本人が戦争の加害者に定義変更した日。1970年代のどっかってことで駄目ですか?


 

コメント

  1. 名主 より:

    善隣学生会館事件では、民青がちゃん◯ろ打倒と叫んで突撃したようです。笑

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