誕生して30年経ってるのに「ニューメディア」?

YoutubeもXも強大な権力を持ち、表現の自由の範囲はマスコミと大差ない。そもそも、理系学術プロパーだったインターネットが大衆化してからもう30年近い(商業化開始93年 WIN95は勿論95年 BB2001年)。30年も経って成熟したメディアの一体どこが「ニューメディア」だ。テレビは53年2月開始で、30年後にはほぼ全戸カラーで世界中から中継してた。
なのに、N信に限らず、未だに1995年~1998年と大差ない青臭いことを言っている。
「マスコミvs市民」という青臭い幻想

「マスコミに対抗するメディア」「誰でも表現の自由を謳歌できる」「スポンサーに気兼ねせずに誰でも発言できる」… 自分も、1995年にインターネットの世界を仕事をとおして知り、このホームページを始めた96年以降、そんなことを思った。
おそらく「理想通りにいかない」と思い始めたのは、2ちゃんねる辺りだろうか。
しかし、確かに自由すぎるこらい自由だった。地下鉄サリン事件以降にオウム真理教が堂々とホームページを運営し、チャットや掲示板を定期的に開催したほどに「自由」だった。また、利用者をそれを「良し」とした。
しかし、あれから30年弱、Youtubeにオウム真理教動画を設置したらBANされた。
検閲基準は新聞テレビもYoutubeXFacebookも同じ

現在のインターネットは、Google(Alphabet)やMetaやXが言論プラットフォームを支配している。アカウントをBANされると、言論人として著しい不利に陥る。よって、今のネットでは、上記企業に逆らうことは出来ない。
「暴力・テロ」「ヘイト・差別」「児童ポルノ・グロ」など、オールドメディアと何ら変わりのない基準で検閲されている。
それどころか、利用者自身が自ら「先生にいいつける」のが現状である。ニューメディア大好きっ子が忌み嫌う「オールドメディアの報道しない自由」を、ニューメディア側が自主的に行使する。気に入らない「報道機関」は圧力で潰してしまうのだ。
オールドメディアとニューメディア、差異はフェイクニュースだけ
もはや、オールドメディアとニューメディアとの違いは、職業的記者が情報発信するか、一般市民が発信するか、それだけの違いである。しかも、ブログもYoutubeも広告料目当てで運営されることが増えたので、視聴率を気にした作りになり、オールドメディアとの差異がますます少なくなる。悪い意味でインターネットと新聞・テレビとの情報さがなくなってくる。そもそも、ネット系の情報は全てオールドメディアに依存している。
もはや、オールドとニューとの差異は、フェイクニュースやデムパや陰謀論を楽しめるか否かだけである。
日本国民はマスコミの相対化を完了させている

唯一ニューメディア特有の「意義」があるとすれば、左寄りメディアの監視・批判・抗議だろう。
確かにマスコミは右が薄い。しかし、今や気の利いた中学生ならば、朝日毎日が左寄りで読売産経が右寄りと知っている。それどころか、テレビの報道関係に出演する記者も知識人文化人もタレントも、「左寄り・右寄り」と分かってテレビを見ている。
既に日本国民はマスコミの相対化を完了しているのだ。
いくら立花孝志を叩いても斎藤元彦にまでなかなか及ばない。いくら旧統一教会ネタで自民党を叩いても、国民は自民維新民民公明を選択し、共産党を忌避する。

いくら「マスコミは左」と言っても、右寄りの高市早苗になったら自民党は人気回復した。これをニューメディアの影響と考える人もいるだろう。ただ、ニューメディアなんてなかった昔から、佐藤栄作や中曽根康弘は、マスコミや左翼政党がナチナチ叫んでも長期政権を築いた。日本人の多くはネトウヨ政権が好きなのだ。(グラフはhttps://honkawa2.sakura.ne.jp/5236a.html より。昔の方が内閣支持率が低めだったんだね)
自分の好きな意見を信じればOK
「時代はニューメデイアからオールドメディア」というよりは、「マスコミもネットも信じられない」時代と言った方が正しい。そして、マスメディアもSNSも信頼できない社会とは、まさに「自分の好きなことを信じればいい社会」(窪田順生)である。
そして、確かにマスコミも市民の「信頼できない」に応えている。そもそも視聴者がメディアを相対化して、参考程度にしか考えてないのだ。



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