池田大作扇子踊りを馬鹿にするのは悪なのか?

オウム真理教・破壊的カルト
オウム真理教・破壊的カルト

 中革派関連で、威風堂々の「池田大作の扇子踊り」が馬鹿にされるので、創価学会が怒って「著作権侵害で訴えるぞ」と激怒しちゃいました。

 威風堂々の歌、ごく少数の私の愛読者は説明不要でしょうけど、たまたまいらっしゃった「一見さん」のために、下に貼っておきます。この「オッサンが扇子を持って踊る光景が滑稽だ」というわけです。

信教の自由・政教分離に関する基本知識1

 これまた、「一見さん」以外はご存知かと思いますが、基礎知識として確認の意味で書きます。
 政教分離(英語名Separation of Church and State)は、国が特定宗教を応援しちゃだめ、創価学会もイスラム教も安心して信仰できるようにしましょうという制度です。すなわち「創価学会=公明党」は憲法違反という意味はない。むしろ安心して「頭がパーン」できる信教の自由を保証する。
 昔の欧州みたいにキリスト教が王様とくっついて殺し放題奪い放題、日本でも戦前は赤紙一枚で「天皇陛下万歳」と言って死ななければならない(笑)のはまずいと。そういう考えです。

信教の自由・政教分離に関する基本知識2

 しかし、信教の自由って、実は「信仰しない自由」「宗教を批判する自由」もたっぷり含んでいる。これは私が勝手に言ってるのではなく、日本中の大学・受験予備校の憲法講義で普通に教えられる「通説」です。

 先日、柄にもなく美術館に行きました。フランスのライシテ(あえて書けば「徹底した政教分離」)のことが知りたくて行ったんです。タイトルが「ライシテからみるフランス美術 信仰の光と理性の光」。実際に「ゲージュツ品」を見て「解説」を読んでいると、信仰と理性が対立してるような印象を受けます。
 政教分離という思想から考えると、「信仰しない自由」「宗教を批判する自由」も、ある意味「信じる自由」以上に崇高な権利として存在してしまう。
 日本だと「政天分離」「政靖分離」とでも呼ぶのでしょうか、それでも同じです。創価学会で「頭がパーン」するのは自由ですが、「あれ、やばくね?」と批判する自由も実は存在しちゃうんです。
 ソ連憲法に「反宗教宣伝の自由」って条文がありました。もちろんソ連ですから、変な宗教信じると強制収容所で殺されちゃうのですけれど、「反宗教宣伝の自由もあるぞ」は、政教分離や信教の自由を分かりやすく説明しています。

著作権はならず者の最後の隠れ蓑

 上記の創価学会Twitterアカウントは、「当会が著作権を有する映像等を、SNS等に無断でアップロードする行為は固くお断りします。」と発言しており、「創価学会の信仰を茶化した場合は名誉毀損で訴えます」とは言ってません。

 もちろん本音は後者です。しかし、日本でもアメリカでも、いや世界の自由で民主主義の国々では、反宗教宣伝の自由も認められている。だから、こう主張するしかないのでしょう、
 信教にも反信教にも限界があります。しかし、この「限界」は名誉毀損やわいせつなど、一般の人権問題と同じように「どこまで認めるの?」って話です。

 問題は著作権。しかし、ネット上では「著作権はならず者の最後の隠れ蓑」という要素が極めて強い。もちろん、この日記を含めて著作権はいたるところで侵害されており、「それは良いことですか?」と言われると、んなわけないんです。

 しかし一方で、政治家の顔はフリー素材(笑)。その「フリー素材化」は有名人にも及びます。もちろん、そんな法律はありません。著作権侵害肖像権侵害です。だけど、高市早苗も野田佳彦も、田村智子や福島瑞穂ですら文句は言いません。裁判をすれば勝てるかもししれない。しかしやれば有権者から「表現の自由の敵」と嫌われる。まあ、民主主義の発展のためには仕方がないのか、と諦めてるんでしょう。

 そう考えていくと、芸能人に比べれば遥かに公共性が高い創価学会のカリスマ会長は、フリー素材に耐えるのが最善かと思われます。ましてや、立憲民主党を飲み込んで政権奪取を狙う政党の支持母体です。裁判になれば勝てるとしても、著作権侵害を口実に、茶化した素人を告訴で脅すのは、「日本最強の圧力団体」としてはいかがかと思います。

やっぱり「創価学会は恐ろしい」に

 そして、批判者はますます「そーれ見ろ、統一教会よりも創価学会が恐ろしいのだ」と感じます。
 だって、「威風堂々と 正法かざし駒を進めば 草木もなびく」んですよ。草木どころか立憲民主党までなびかせちゃう宗教団体だもの。威風堂々といきましょうよ。池田先生も言ってるじゃないですか。

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