流行語大賞候補「カタログギフト」
貰って嬉しいカタログギフト。
葬式だって結婚式だってカタログギフト。よって当選祝いもカタログギフトとなる。
さすが高市さん、気遣いが違う。しかも「カタログギフト」という身近だけど注目されないパワーワードを使って、マスコミや左翼へのネタを提供する。
菅原一秀さんみたいに、カニやいくらだと、私が相手なら「さすが菅原さん」って思う。しかし、カニもいくらも嫌いな人だったらどうするんだろう。TMパワーにズブズブパワーで見事にカムバックしたのだから、今度から高市総理を見習ってカタログギフトを送ったらどうだろうか。
授受作用・ポトラッチ・お裾分け

菅原一秀さんも大好き、TMやズブズブでお馴染みの統一教会(現家庭連合)には、授受作用という教義がある。
AさんがBさんに鶏卵をプレゼントした。Bさんは「いただいて申し訳ない」と思い、Aさんに鯖をお返しした。「まあ、こんなに高価なものをいただいて」と思ったAさんは豚(多分切り身)を送った。それに驚いたBさんがタコを… そうやって「もっとあげたい、もっとあげたい」という気持ちになっていくのだそうだ(「小学生のための原理講義」より)。
エスキモーの世界では「ポトラッチ」という風習がある。正確なことは知らないけれど、金持ちがガンガン他人に物をプレゼントしちゃう。そしてもらった側は、それ以上のお返しをする…そんな感じの風習だ。
日本にも「お裾分け」が存在する。これは江戸時代から「そんな感じ」らしい。
どうやら、物をプレゼントし合うと仲良くなれると、人間さんは昔から経験則で分かっていたようである。
あまり近代的でない「贈答文化」
しかし、日本のお中元にお歳暮も減少傾向にある。、先生への付け届けも、感覚的に「悪いこと」が一般化しているのではないか。少なくとも日本では、贈答文化は反現代的な気がする。欧米だったら、もっとそうなってる気がする(根拠なし)。
WIKIによると、ポトラッチは『浪費を促し非生産的で非文明的な悪習』で、『カナダは1885年から1951年までの間ポトラッチの開催をインディアン法により禁止していた。アメリカ合衆国も19世紀末にポトラッチを禁止した』そうである。

贈答文化はもらう側にとっても迷惑なもの。バレンタインデーにホワイドデーができて、職場では出費がかさみお菓子屋が儲かるだけ。バレンタインデーそのものは生産性のある異性愛者が増加するので良いと思うけど、問題は「お返しせざるを得ない気持ち」なのだ。
そもそも、統一教会は万物復帰してもお返しの金品がない。その点、オウム真理教なんか最初から「布施は自己の煩悩を弱める効果がある」と豪語している。こっちの方が正直で良いかもしれない。しかし実は「喜捨の喜び」というのも曲者だ。
阿修羅原(故人)というプロレスラーは奢りグセがあり、結局借金を重ねてプロレス界を追われた。気前よく奢れば、奢られた方は嬉しい。宗教団体だって、教祖が褒め称えり機関誌に大きく名前が載ったり、実はとっても楽しのだ。「見返りを求めずに」というわけではない。
もちろん政界への影響ゼロだけど
今回のカタログギフトブーム、配ったのが「結婚式や葬式でおなじみなあの冊子」で面白かったのでバズったけど、大した話ではない。「どうせウチもやってる」と思ってるのか小川淳也も慎重だし、泉健太君も自重するように言っている。
しかし、ごく一部(衆院では4+1+α)の議員と多くのジャーナリストやタレント文化人が大騒ぎ。
当選者にギフトカードを贈ることの是非はともかく、自民大勝の原因を作ったのは野党左翼政党ではなくマスコミ・言論人と更に強く思った。



コメント
ちょと違うかもしれませんが、古代から中国に朝貢するのは、単になんでも贈り物はよくて、
朝貢のお返しというか褒美は、莫大な財宝だったようです、大理石は大理という地域部族がすんでいた場所ですが、そこら辺の石を朝貢品にしたら、莫大なお返しだったとか、あと日本の
平清盛は宋に朝貢していましたが、莫大な利益があり、宋側がもう来ないでくれと言い出したようで、贈り物には色々な意味や文化があるようですね。