左翼はどうやって宗教団体を乗っ取るのか
同志社国際高校で勃発した女子高生事故死事件。それ以降、日本共産党の偽装団体として日本基督教団はすっかり人気者になってしまった。
しかし、本当に日本共産党が「乗っ取った」のだろうか。天地正教みたいに休眠状態の団体ならばとももかく、キリスト教みたいにそこそこ信仰心がありそうな宗教団体が簡単に「乗っ取れる」ものなのか。日本の宗教家は、共産党や新左翼過激派にヘコヘコ言いなりになる根性無しの馬鹿低能揃いなのか。
まあ、当時の新左翼や日本共産党に比べれば、「根性無し信仰」の持ち主がウジャウジャの可能性は否定できまい。しかし、仮にも神仏を信仰する建前の集団が、無神論の左翼がいとも簡単に浸透できるのとしたら、かなりの驚きである。
2冊の謎本(古本)から秘密を探る


相次いで似たような本を読んだ。
「実録教団紛争史: 日本基督教団(小林貞夫著」と「共産党対本願寺 : 乗っ取るまでの30年暗躍史(共産党から宗教を守る会)」の2冊である。
どちらも古書で少々お高かった。そしてどちらも、一般に流通した書物でないかもしれない。
「実録教団紛争史: 日本基督教団」は自費出版みたいな100頁強の小冊子。「共産党対本願寺」は出版社が記載されていない。しかしイラストや氏名の列挙など、デザインが明らかに全貌社作成と思われる。
それゆえ共産党側にしてみれば、当時ならば「反共デマ宣伝」今なら「ネトウヨがデマ本を信じてる」で誤魔化すだろう。
手口は同じ「いきなり暴力で不穏分子追放」「次世代教育機関掌握」

さて、両著作はどのように「乗っ取った」と書かれているのか。
面白いことに、両者ともそっくりなのだ。
日本基督教団は1969年9月1日2日、浄土真宗大谷派は1979年11月の報恩講。どちらも暴力的に乗っ取り、ピケを張って外部から遮断してしまう。不都合な人間を排除する。
そして教義を「民主化」し骨抜きにして、日本基督教団で言えば万博キリスト教館問題などから部落解放など、左翼席政策を運動方針に据える。
更に両者とも「次世代宗教家育成機関の骨抜き」に力を入れる。キリスト教は「教師検定」を大谷派は「専修学院」「教化研究所」を押さえ、教育内容を捻じ曲げ、さらに東京神学大学や大谷大学に手を伸ばす。更に外部の左翼団体と…

どちらも最初は暴力的な乗っ取り。そして人事権を掌握して、徐々に人間と組織を変え、次世代教育機関の破壊にに重点を置いている。
なお、日本基督教団を乗っ取ったのは「造反派」と書かれており、新左翼系(革マル)であると思われる。真宗大谷派のクーデターは1979年でずばり日本共産党。不破・上田兄弟が「ユーロコミュニズム」「平和革命」と言ってた時代。裏ではこういう手荒いことをやってきたのだ。
それでも残る疑問点「本当に乗っ取れるの?」

ちなみに、日本基督教団の方は2006年10月24日に抗争は終結したと書かれている。しかし「正常化」しても、過激派に変わって浸透した日本共産党には良いようにされてるということか。
また、大谷派の「しんらん交流館」には、カラシニコフが置いてあったり、子どもに小さな紙にメーセージを書かせて、その紙片を並べて「PEACE★」の文字を作らせて掲示。更に「解放運動推進本部」「女性室」。日本共産党が浸透していることは明白である(どうして日本の伝統仏教に共産党が浸透できたのかー浄土真宗大谷派・東本願寺に行ってみた)。
ただ、それでも疑問が拭えない。内部に党員を入り込ませチャンスを見計らって、一挙に暴力で不穏分子の親玉を追放し、人事を徐々にシンパで固め次世代教育機関を押さえて… マニュアル通りに、そんなに簡単にいくものなのか。前にどうして日本の伝統仏教に共産党が浸透できたのかー浄土真宗大谷派・東本願寺に行ってみたを書いた時も、結局「「どうして」が分からない」「そもそも日本の伝統仏教には「命を賭けてまで守る信仰」なんで存在しない」を結論にしてしまった。しかし、それも変な気がするのだ。
キリスト教と日本共産党の親和性
案外と、共産党員に「キリスト教の精神は9条の精神と一致する」なんて言われると「確かににそれもそうだな」と納得しちゃうんじゃないだろうか。

そもそも欧米ではネトウヨとしてキリスト教は機能するけれど、日本でキリスト教は共産党と同じく何かと弾圧される存在。
だから、男女役割固定や神様絶対(反唯物論)など、キリスト教のネトウヨ部分を排除すれば、あの2つは親和性が案外とある。実現不可能な理想を偉そうに他人にお説教して、自分では一切守らないところも実にそっくり。
「神様は男女を別々に作った。役割が決まってる」なんて敬虔なタイプは真っ先に追い出す。そうしたら、「何時の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら、左の頬も向けなさい」「情欲を抱いて女を見る者は、心の中で姦淫した」などの反吐が出る綺麗事は、日本共産党の綺麗事と実に親和性がある。
そして、おそらく浄土真宗大谷派も、親鸞のネトウヨ部分を切り捨ててしまえば、日本共産党との共闘は案外と心地よいのではないだろうか。
中途半端ですが、今日はここまでにします。



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