
慰霊は「駅事務室・忘れ物係」
考えてみれば、霞ヶ関駅にサリンなんか撒かれてない。小伝馬駅もそうだ。豊田亨が中目黒から秋葉原の方に向かう日比谷線で、林泰男がその逆からサリンのサンドイッチ攻撃したからあの辺が犠牲になったのだ。
そんなことを考えながら、霞ヶ関も築地も通り過ぎて日比谷線小伝馬町駅に到着。
「それらしきもの」は何もない。とりあえず駅から降りよう。すると正面に石碑が見える。「ああ、やっぱりあるんだ。霞ヶ関より立派だな」と思って見てみたら、吉田松陰のだった(写真左or上)。
それにしても、ここでも「あんな感じ」で人がバタバタ倒れてたんだな(写真右or下)。


「あれ」があるのらば、林泰男の乗車方向から考えて中目黒行きにあるのではないか。そう思って、逆方向のホームに向かう。しかし、何も無い。ふと「駅事務室・忘れ物係」を見る。明らかに雰囲気が違う。職員2人が起立している。その下には「一般」「メトロ関係者」。
どうやら、ここで地道に慰霊のセレモニーが行われているようだ。それにしても「忘れ物係」とはオウム真理教らしい。風化風化と騒ぐマスコミも、日曜日以降はオウム真理教を「忘れ物係」に保管してしまうのだから。
築地駅・聖路加病院
茅場町・八丁堀でも犠牲者は大量に出ているが、そこを飛び越えて築地駅に。やっぱり「忘れ物係」にあるのだろうか。調べてみると、マスコミが騒いでくれる霞ヶ関以外は、「忘れ物係」がスタンダードらしい。

地下鉄サリン事件ーー25年目の全駅献花巡り
https://note.com/reimeken/n/n7333b502caf8
忘れ物係ではなくエレベーターがあった。上に「聖路加病院側」と書かれている。ああ、あの病院も当時に随分とマスコミに報道された。上がってみよう。
この道も凄まじいことになっていたのか。暫く歩くと聖路加国際大学。更に公園がある。綺麗な花が咲いている。30年前はこの花がゲロだらけだったのか。
聖路加病院の救急室。この雰囲気は、30年前のマスコミ報道そのものという感じ。だけど、駐輪場の前には瀕死の人など一人もいない。のどかなのどかな春分の日。きっと、「今日は春分の日だからのんびり過ごそうや」…さすがに病院だからそれはないな。


さて、肝心の忘れ物係は逆側なのか。探し回って築地本願寺まで行ってしまった。この大通りも当時報道された気がするが、ここではないのか。そういえば、一度も「新聞社が近いのに惜しかった」って話を聞いた記憶がない。しかし、ここの乗り場も「中目黒方面」。「そういうもの」は発見できなかった。
霞ヶ関はいつもどおり、こじんまり

霞ヶ関駅。30周年騒動で騒がれたくなかったのか、いつも通り。
プレートの前には何もない。そのプレートの前で立ち止まって、中の文字を読んでいる男がいる。案の定、オッサンだった。オッサンは写真撮影。私もその後ろに並んで写真撮影。向かって右では、いつもながら近づきがたい雰囲気を醸し出している。あんまり人はいない。むしろ、例年よりもこじんまりしている。
外に出てみる。ここも阿鼻叫喚だったのだろう。経済産業省の前では、脱原発テントのおばさんが若干名。仲間と世話話をしていた。


なるほど。
遺族は本当に「風化阻止」なんて思ってるのだろか。本当は、そうっとしてほしいのではないだろうか。
一部のマスコミがマジで8.15のノリで騒いでるだけではないのか。
そういえば、風化風化と叫ぶ割には、報道機関と思われる人を一人も見かけなかった。
神谷町の前には虎ノ門ヒルズなんて駅はなかった

神谷町。昔は実にこじんまりした駅だった。何よりも、30年前に神谷町と霞ヶ関との間に「虎ノ門ヒルズ」なんて駅はなかった。
「それらしきのの」は何もない。忘れ物係も見つからない。駅を出てみる。麻布台ヒルズ。見違えるような風景。

そんなに風化させたくないのならば、ここで「地下鉄サリン・オウム真理教写真展」をやればいいじゃないか。
一瞬で風化する「地下鉄サリンを風化させるな」

実は、時間があれば日比谷線以外にも行こうと思ったが、どこへ行ってもな何もない事が分かったのし、疲れたので帰ることにした。
脱カルト・反カルトの戦士だって、今日からサリンなんか綺麗に忘れて、加害者の言い分そのままに、被害者の安倍さんのご家族や自民党の皆さまを卑しめ貶める作業を再開するのだから。
ではまた。
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