※この記事は、将棋界の諸事情や将棋・囲碁のルールを知ってることを前提に書いてあります。ご了承下さい。
Eスポーツ化で頑張る日本棋院
チャッピーに言わせると、
囲碁:文化・伝統に依存 → 苦戦
チェス:ネット・娯楽に適応 → 成長
だそうだ。なるほど、ブンチャカブンチャカ音楽流して「きゃ~に囲い!」って将棋指すのは大正解だっだのだ。
しかし、何で囲碁はネットに適応できないのか。囲碁だってEスポーツ化して頑張っているのだ。このユニフォームを着る勇気はさすがである。

だが、プレイヤー人口も減るし赤字も止まらない。思うに、やっぱり囲碁はつまらない。将棋のほうが面白いのだ。
そこで今回は、囲碁が根本的に将棋に劣る問題点を摘出したい。ただ、これはある意味、囲碁の本質に関わる問題で、解決のしようがないかもしれない。ただ、将棋から囲碁に入った人間にとっては、けっこう違和感を感じるのだ。以下、過去に書いた「やっぱり囲碁は無理ゲーだった」とかなり重複します。ご了承下さい。
囲碁は「詰む」まで打たない
将棋は誰がどう見ても「詰み」は「詰み」。しかし、囲碁の「地」は、人によって「地」であったりなかったりする。
例えばこんな局面です。
黒に手入れが必要か否か。右下が怪しそうですが、私が言いたいのはそういうことではない。
まず、一見して黒有利なんだから、白はどうして試さないのだろうか。ダメ元で際どいところは全部打ったほうが良い。
黒のだだっ広い領土、白が適当に打ち込めば生きるかもしれないではないか。言っておくが、日本棋院から由緒ある6級認定証をいただいた私である。一力遼や井山裕太が白を持てば全部活かしてしまう自信がある。一方、私が白を持てば全部殺される自信もある。
将棋は詰むまで指しているけれど、囲碁は「詰む」まで打っていない。「頭金」から遠い時点で、自己申告で終了してしまう。
昔、何かで「純碁」の自陣を埋める作業を省略したのが囲碁と読んだ記憶がある。これは間違いのようだが、妙に説得力があった。(「やっぱり囲碁は無理ゲーだった」参照)
囲碁は切れ負けルールに対応してない

しかし、将棋漫画「ハチワンダイバー」みたいに、「負けたほうが死ぬ」ルールだったら、どうするのだろうか。
いや、そこまでいかなくても、切れ負けで劣勢の方が2分、優勢の方が20秒だったらどうするのか。劣勢の方は確実に「王手ラッシュ」、いや、怪しい場所にガンガン打ち込む。囲碁も将棋も間違えたほうが負けるのだ。ダメ元でも、やるっきゃない。
優勢の側の持ち時間が20秒しかないのは、有利な局面を作るために時間を使いすぎたから。将棋ではこの理論で運用している。何せ、ブッチくん(仮名)というプロ棋士が、素人相手に堂々とやっているのだ。
反則手以外に「マナー違反の手」が存在するのがそもそもおかしい
時間切れ制度と暗黙の前提
https://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/200507250000/
時間切れという制度は、実は一つの暗黙の前提がある。それは、「終局は潔く認め、最後の半コウ争い、ダメ詰めが終了した時点で誠実に終局に同意しなければならない」ということである。
…この暗黙の了解がなかったらどうなるか。終局を認めないで時間攻めにすることが何らの問題もないことになる。

時間攻めが問題行為だとは知らなかった。しかし、囲碁ではそうするしかない。囲碁は頭金いや二眼まで打たないのだ。
しかし、反則手以外に「マナーが悪い手」「道に悖る一手」が存在するのがそもそもおかしい。マナーの悪い人はたくさんいても、マナーの悪い手がゲームに存在する筈がない。存在することが土台間違っている。
以上の問題は、切れ負けだけでなく、秒読みでも同じだ。実のところ、囲碁がネット対応できないのは、囲碁が本質的にネットと親和性がないからではないのか。ルール違反でない手が「下品」「マナー違反」とか、数学的に考えれば明白な間違いなのだ。



コメント
桜井章一の麻雀道場では即ひっかけリーチ禁止とかマナーをルール化して異様な宗教団体になっていました。
まあ、ルールを強固にして結束を強めるのは詰将棋も他人事とは思えませんが。
宗教とは、また形而上学とは、真理を僭称するーその点で品位の欠如したー芸術作品のことなのである。芸術作品であるかぎりにおいて、それらは尊重されるべきであるが、真理をも僭称するかぎり、それらは否定されなければならない。第一に、それらは真理でないがゆえに、第二に、その僭称が病気の徴候であるがゆえに。
『これがニーチェだ』永井均
ちょっと関係ないかも知れませんが気に入っている一節です。