囲碁はプロ棋士産児制限、崩壊過程に突入

何せ2~3級の人に6子であやされてたレベルだから、「お隣」の囲碁業界はとんと分からない。
しかし、囲碁業界が崩壊過程に入ったことは確かなようだ。
囲碁界は「産児制限」始めました。しかし、明日は将棋界も我が身。
英題囲碁塾より。
囲碁棋士採用試験の変更が危機的にやばい
契約金も「削られてる」のは本因坊戦だけではあるまい。大甘で数えた人口が130万人の囲碁業界に、斜陽なら負けてない新聞社が高額の契約金を払い続けるはずがない。何せ新聞の棋譜はファンすら読んでないのだ。
何故立場が入れ替わったのか
もちろん、囲碁ファンは様々な衰退の分析を行っている。例えば、こんなのがあった。
囲碁と将棋の「決定的な差」について(藤井聡太以外の理由はあるのか):ノロウェ
囲碁界の終わりの始まり、そしてその先へ:Ryo NAKASAKI

しかし、元将棋界住民からすれば、昭和~平成初期の昔は「囲碁のほうが稽古先が多い」とむしろ羨ましがっていたのだ。囲碁は2世棋士が多いけど、将棋にはいない(当時)のは生活が苦しいから、とか。将棋業界の住民も「囲碁>将棋」と思っていたはずだ。
それが入れ替わったのは単に藤井聡太効果とは思えないし、AI対策にスポンサーを無節操に探したことやコンテンツの魅力を伝える努力云々も、何か違う気がする。
私は、長期的に見れば将棋産業・囲碁産業とも終わると思っている。少なくとも衰退は避けられない。
「将棋・囲碁は文化」「礼に始まり礼に終わる」と偉そうに威張っても、伝統も礼節も柔道や剣道の方が、上達しなくてもやった分だけ体力がつくから得するに決まってる。白黒・木材のゲームよりも、いろんなキャラが登場するネトゲの方が面白いに決まっている。
しかし、衰退レベルにおいて将棋は公明党レベルなのに、囲碁は既に社民党状態になっている。これは全く違う原因なのだ。
将棋ファンから見た囲碁の致命的欠点
実のところ、囲碁が衰退するのは歴史的必然性があるのではないか。
「文化」「芸術」が通用しなくなり、金持ちやインテリが囲碁を「お上品な嗜み」とおだててくれる時代は終わった。そうなると、純粋にゲームの面白さで勝敗が決る。囲碁よりも将棋のほうが面白い。それだけである。
将棋は王様を取ったほうが勝ち。囲碁は地が広い方が勝ち。
「いや、将棋は「詰み」…」なんて言いたがるアホは放置新聞します。

しかし、囲碁は半分が「中押し」で終わる。将棋で言えば大駒取られて戦意喪失で終わるのです。
更に、残り半分の「作り碁」。これが実に曲者。少なくとも私には半目なんか終盤で分からない。いや、整地前前の不格好な地+抜き跡みたいな地+アゲハマー6.5。電卓・メモなしでどうやって計算しろというのか。
5目~10目差でも最後に数えてみないと分かる筈がない。アマ初段になれば、作る前の未完成凸凹状態で概算することができるのか。しかし、囲碁はこの数目が勝敗の分かれ目になるのだ。
いや、級位者だと整地そのものが当てにならない。ヒカルの碁に「整地のズル」という言葉があった。私なんか真剣に整地しても一つ二つズルしてる自信がある。
囲碁はワケワカメ

ヒカルの碁でも、囲碁は打っててもどっちが勝ちだか分からないとか、そんな表現があった。 打ってる両者が優劣が分からないし、整地後も自分の地に自信が持てないゲームがバズるはずがない。
昔、囲碁ファンが偉そうに「将棋はガツガツしているから嫌だ」とか言っていた。しかし、今にして思うと、まさに「自分が優勢すら分からない」けど、俺は高級な囲碁を打ってるんだぞー偉いんだぞー、って状態ではなかったのか。
将棋のほうが一手の差が大きい。いや、実は囲碁だって一手の差が大きいのだ。しかし、それが計算できるには級位者では不可能。電卓使っても絶対に間違える。
囲碁の級位者~初段の読者がいたら教えてほしい。終盤の何目差まで分かります?
そこで私は提言したい。囲碁の普及は9路盤でも13路盤でもなく、「黒30目・白35目」ってテニスやラグビーの試合みたいに表示することではないのか。「あ、これで一挙に10目ゲット!」って点数掲示板を見ながら打つ。そう思うのですが。



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